11月の掲示(その1)[大鳥神社の説明付き]

11月の掲示(その1)です。画像をタップ・クリックすると拡大表示されます。

大鳥神社酉の市のお知らせ(掲示のみ)


(補足) 大鳥神社とは?

地元雑司ヶ谷の氏神様です。秋の例祭の時には本町会も一丁目町会の子供神輿で参加しています。

以下、大鳥神社Facebookの紹介ページからの引用です。

聖徳2年(1712)に出雲の松江藩第5代藩主松平宣維公の嫡男が豊島区千登世橋付近の下屋敷にて天然痘の養生中に神告によって出雲大社北岸の伊奈瀬波岐(いなせはぎ)神社(通称;鷺大明神)に祈願したところ見事完治した為、その御分霊を雑司が谷に勧請したのが始まりです。
当初は鬼子母神境内に祀られていましたが、明治の神仏分離令によって現在の地に鎮座しました。
以来、旧雑司が谷村(今の雑司が谷、南池袋、西池袋2丁目、東池袋4・5丁目、目白3・4丁目、目白台2丁目地域周辺)の氏神様として地域の方に親しまれています。


雑司が谷の区域は昔は相当広かったようです。実際、現在の池袋近辺の東通りあたりも昭和39年に実施された住所整理が行われるまでは雑司が谷でした。それ以前はビックリガードの西側にわたって7丁目でした。明治通りの現『南池袋三丁目』バス停(後藤学園-旧ドレメ-前)は『雑司が谷六丁目』というバス停だったとのことです。それに反して、現在の三丁目の鬼子母神商店街の目白側、明治通りと挟まれた地域は『高田本町』に属していました。昭和39年以降雑司が谷三丁目に編入されています。そうした経緯のため、三丁目の旧高田本町の区域は大鳥神社を氏神とせず現高田二丁目の高田氷川神社を氏神としているとのことです。

町の変遷については日本女子大のこちらの論文などが詳しいのでご参照ください。